☆ 名前の由来・・・ ☆【三和エステート志木店賃貸ブログ】
みなさん!
こんにちは!!
こんばんは!!!
本日は名前の由来についてです☆
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実は、「朝霞」という地名の歴史は新しい。
元々この一帯の中心は、川越街道の宿場町であった膝折宿。
1914年に東武東上線が開業したとき、
この地におかれた駅の名は朝霞ではなく膝折駅といった。
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かつての朝霞は川越街道の膝折宿を中心に、
周囲にはひたすら田園地帯が広がる農村だった。
北側には新河岸川が流れていて、
水運によって江戸と繋がっていた。
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朝霞一帯の田畑で採れた作物は
新河岸川の舟運で江戸に運ばれ、
反対に江戸からは肥料が運ばれてきたという。
当時の朝霞は、
大都市・江戸に野菜を供給する役割を担っていた。
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変化のきっかけは、
1932年に完成した東京ゴルフ倶楽部の朝霞コース。
このとき、膝折は縁起が良くないとされ
ゴルフ倶楽部の名誉総裁だった朝香宮鳩彦王にちなんで
町の名前を「朝霞」と改めて町制を施行している。
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朝香とはせずに朝霞としたのは、
皇族の宮号をそのまま頂くことを憚ったためだろう。
このとき、今に通じる「朝霞」が誕生したのだ。
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なお、この頃はまだ
武蔵野線の北朝霞駅の場所は朝霞町ではなく、
内間木村に属していた。
1955年に内間木村と朝霞町が合併して朝霞町となり、
1967年に朝霞市になっている。
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朝霞の町はこの東京ゴルフ倶楽部によってその名が生まれ、
町としての発展の第一歩を刻んだといっていい。
ゴルフ場は1941年に陸軍予科士官学校に生まれ変わる。
それがそのまま戦後になって米軍施設になり、
返還後は公園や陸上自衛隊の駐屯地になった。
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歴史を紐解くと
知らないことがまだまだありますね☆
※文章は2023.12.18の文春オンラインを参照して構成されています※
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